2005年10月2日 「神の秘められた計画」

申命記4:1〜8/エフェソの信徒への手紙1:3〜14

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『この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。』 (エフェソの信徒への手紙1:14)

<パウロの確信>

 パウロは、エフェソの信徒への手紙を通して「闇がますます深くなっていると感じられる時にも神のご計画はこの世界の中で実現されつつあると信じぬくことこそキリスト者の信仰である」、と語っています。パウロは、この神のご計画とは、あらゆる被造物が、やがてキリストにあって一つの家族にされることだと確信していたのです。パウロは、歴史はすべてこの目的に向かって進んでいる、と理解していました。そして、この御計画に仕えていくことこそが、教会の重要な課題である、とパウロはエフェソの信徒たちに伝えようとしていたのです。そしてパウロは14節において、聖霊に関する極めて重要なことを述べています。14節においてパウロは聖霊を「御国を受け継ぐための保証」と呼んでいます。この「保証」という言葉は、もともと、何かを買う時に、代金を分割して支払う一部金のことでありました。つまりこの、「御国を受け継ぐための保証」という言葉を用いてパウロが言おうとしているのは、私達がこの世で味わう聖霊の経験は、天国の喜びと祝福を前もって味わっているということなのであり、つまりいつの日か、神の秘められた計画の完全な成就の中に入るという保証を、受けているということです。私達は、聖霊の支えと導きによって、神の「秘められた計画」に仕え、時には大きな波に押し流されながらも小さな行動を積み重ね、時にはその実りにあずかり、大きな喜びに満たされることもあるのでしょうけれども、しかし、私達がこの地上において味わうどんなに大きな信仰の喜びも、実は、いつの日にか天においてあずかる喜びのごくわずかな一部分にすぎない、ということを言い表しているのです。

<聖霊の導きによって>

 聖霊は、わたしたちに神のみ旨、その秘められた計画を示すと共に、わたしたちがそれを実行できるようにもしてくださいます。どんなに小さな希望であったとしても、どんなに小さな行動であったとしても、その小さな出来事の中に神の御計画を見出しそこにつながってさらに小さな行動を積み重ねていくならばいつかきっと、まるで停滞していたかのように見えていた神の御計画が、再びゆっくりと大きく動き出し始めるのです。

<信仰の目をとおして>

 今朝、私達は、この神の秘められた計画・真理について改めて知らされ、再び、ここから新しい一週の旅路へ送り出されようとしています。やはり、どこを見回しても分裂があるだけにしか見えないような現実の世界の状況の中で、しかし、自らの内深くに押されている聖霊の証印に目を注ぎ、さらに聖霊の助けと導きを求めながら歩んでいくならば、きっと私達はそれぞれの場において、神が刻々と進めておられる御計画の御業を、信仰の目を通して見つめることができるようになっていくのでありましょう。「イエスはこの世をご自身にあって一つとするために来てくださった‥、そしてやがてもう一度来てくださるその時、その日に、全ての事柄が解決し、救いの業が完全に成就する‥、」。今朝ここから、それぞれの場へと遣わされてすごす私達の一週間は、確かに、ほんの小さな、まるで無力に見える歩みなのかもしれません。しかし、その小さな一週間もまた、「その日」に向かって進められていく神の救いの歴史に違いないのです。私達はこのことを深く心に覚えつつ、この一週間も希望を持って一日一日を大切に歩んでいきたいと思います。

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