2005年8月7日 「僕のイメージ」

マルコ10:35〜45

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いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」(マルコ10:44)

岩井健作牧師

 マルコの10章35節以下を単純に、言えば人は、三角△が象徴するような生き方から、丸○が象徴するような生き方に、価値観を変えなさい。それがイエスの福音だということです。

 三角が象徴する生き方は、ピラミッド型。段々上に昇り詰めると頂点は一つ。多くの者がその下積みになる構造です。上昇指向、出世型です。上から下へと権力が振るわれます。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し偉い人々が民を支配し権力を振るっている」(四二節)。これはローマ帝国とその属領の支配者についてのイエスの数少ない言素の一つです。現代でも底辺で人々は喘いでいます。社会的弱者、路上生活者、失業者、外国人労働者、在日外国人、難民、犯罪被害者、被抑圧者、などなど。

 さて一方、丸○に象徴される生き方とは、助け合って生きる生き方、人間の輪が段々大きくなる生き方です。「あなたがたの中で、偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべてのひとの僕になりなさい」(四三?四四)。「仕える生き方」の根源にイエスがいます。身近な所で、マザーテレサ、マルティン・ルサーキング、岩村昇、中村哲、などをイメージします。三角と丸とは、きしみ合っています。日本の近代は「富国強兵」で三角です。憲法前文の「諸国民の公正と信義に信頼して」は丸を目指しました。丸と三角は熾烈な闘いを続けています。

 マルコ福音書の特徴は、「ヤコブとヨハネの願い」に三角をみます。つまり、初代教会の自らの弱い部分、恥ずかしい部分を、隠さずに述べて、弟子がイエスヘの無理解であったことを批判的に記録することで、当時の教会への批判をしました。三角の価値観は、教会の外のことではなく、内側のことなのだという自覚は何時の時代にも大切でしょう。しかし、注目したいのは、「あなたがたの間では、そうではない」(新共同訳)という言葉です(口語訳は倫理的響きを持たせて、「そうであってはならない」と命令文に訳す、原文は新共同訳)。「教会は‥恵みにより召された者の集いなり」。教会は、イエスヘの信従を厳しく自己吟味しなければならない面と同時に、神に召されているという恩寵の認識に立つ二重性が大事です。イエスに従って「僕(奴隷)」をどれ程深くイメージできるかが教会の「質」になります。

 現在、私たちは、政治的権力、軍事的支配力、経済的収奪力、情報管理力など、怒濤のように働く巨大国家の、グローバルな三角構造の世界に喘いで生きています。その底辺への想像力(イメージ)をどれ程にもてるかが平和聖日に今問われている課題です。

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