2005年7月10日 「まことの一致を求めて」

創世記21:1-8 /ヨハネによる福音書17:20-26

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父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください』 (ヨハネによる福音書17:21)

<キリストの共同体>

 私たちの主イエスキリストは、私たち一人一人を同じ一つの場所に招き寄せ、そこに教会という共同体を形成させ、その中心に聖霊をもって臨んでいてくださいます。そして私たちは、私たちの共同体の中心にいてくださる聖霊・つまりイエスキリストそのものである霊をより深く感じることを通して、この方と共に生きることの平安・何ものにも代え難い喜びを知ると同時に、さらにそこからすすんで、この方に仕え服従して生きるより深い平安と、何ものにも代え難い喜びを知らされていきます。そして一人一人が、それぞれの仕方で共同体の中心にいましたもうキリストに仕え、服従し、そして、それぞれ一人一人の仕え方の違いを認めあいながら、より十分にキリストに仕え、服従して生き、深い平安と喜びを味わうことができるように支えあっていくのです。そのような生き生きとした状態が、私たちがキリストにおいて一致している、ということなのであり、ただ同じひとつの場所に集まって一緒に礼拝をしていればそれでキリストにおいて一致している、ということになるのではありません。

<キリストにおいて一致する>

 キリストにおいて一致する、というのは、それぞれ一人一人の仕え方の違いを認めあいながら、一人一人がより十分にキリストに仕え、服従して生き、より深い平安と喜びを味わうことができるように支えあっていく、そのようにそれぞれの仕方でキリストを証ししあうことをとおして、互いの信仰が強められ、深められていく、という動きを含んでいるものなのです。そして、教会が、そのようにキリストにおいて一致していく時、23節に記されてある御言葉が実現していくのです。すなわちイエスキリストを知らないこの世が、教会にあつめられている人達の証しのふるまいを見て、教会に集められている人達の真ん中に、イエスキリストなるお方が生きて存在し働いておられることを知るようになるのです。そしてやがて、この方の愛の働きに自らも実際にふれて、まきこまれて、体験させられて、信じるところへと導かれていくようになるのです。

<キリストの希望が新たな可能性をひらく>

 それが宣教ということなのであり、このキリスト御自身の大きな宣教の業において、私たちは幻を見、夢を見ることができるのです。自らの人間的な力、業には限界があるけれども、キリスト御自身が先だってなしておられる大きな宣教の業の一部に仕えているのだという現実を悟ることによって、私たちはむなしい無力感に陥ることなく幻を見、夢を見ることができるのです。今朝も、私達の主イエスキリストは私達一人一人の傍らに立ち、私達の疲れや、失望や、落胆を越えて、イエスキリストの神に執り成しの祈りを献げ続けて下さっています。「神よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らも私達の内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを信じるようになります。」と祈り続けてくださっているのです。ここに私達の希望、一致への根拠があります。このキリストの祈りにあわせて祈り続けていく時、きっと不可能だと思われていた事柄でさえ開かれていくのです。このキリストの希望こそが新たな可能性を切り開いていくのです。

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