2005年4月24日 「二つの愛の戒め」

サムエル記下1:17−27/マルコによる福音書12:28-34

←一覧へ戻る

 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」といわれた。もはや、あえて質問するものはなかった。(マルコ12:34)

<「遠くない」ということ>

 この聖書の箇所には、私たちにとってもっとも大切な「二つの愛の戒め」が記されています。そして今朝、特に注目しておきたいのは、32節以下において、律法学者がイエスの答えを、十分に理解したかのごとく同意を表明している、ということです。しかしこのようにイエスの言われたことを別の形で繰り返しつつ解説する、というのは当時の律法学者の典型的な手法でもあったわけで、本当に自分自身の実存の極みから理解していたとはいえないのではないか、と思われます。それでも、このような律法学者の答えをイエスは答えとしては適切であると認め次のように言われました。最後の三十四節「あなたは神の国から遠くない」。これは「遠くない」のであるから、「神の国」の中に入るさらなる一歩を進むようにとの招きの言葉である、と捉えることができるでしょう。そして、「それから後はイエスにあえて問うものはなかった」と今日の最後の節三十四節は記しています。つまりそこから先は、もはや言葉の問題なのではなく、このもっとも大切な二つの戒めを素直に受け入れ実践するしかないのか、という問題なのだということがここに示されているのではないでしょうか。

<招きに答える>

 私の心の中では、今、この最後の三十四節の「あなたは神の国から遠くない」という御言葉は現在の自分自身に突き刺さってくる言葉としてうずいています。それは、「あなたもまた、この律法学者のように、適切な答えとしては正しい言葉を語ることができるのかもしれないが、それだけではまだ神の国から遠くないというところにとどまっているに過ぎないのだ」という主イエスの御声が、この御言葉を通して私の胸の深いところに響いてくるからです。洗礼を授かって二十数年、愛し愛されることにおいて、傷つき傷つける経験はなくなるわけでも減ってくるわけでもありませんでした。しかし、その度ごとにこのもっとも大切な二つの戒めは、ますます強く深く、この破れ多き自分を捉えて離さなかった、ということを想います。それは、時には逃げ出そうとし、またごまかそうとするこの自分に、それでもなお「あなたは神の国から遠くない」と声をかけ、そんな中途半端なところにとどまっているのではなく、愛することにおいてさらに一歩新しい歩みに踏み出せ、と私の手をとって揺さぶりながら新しい世界に招き、引っ張り出そうとするお方が常にそこにいてくださったということだと思います。
 私たちの主イエスは、今いるそれぞれのところから、愛することにおいてさらに一歩神の国に近く新しい歩みに踏み出させようと私たち一人一人の手をとり揺さぶっておられるのではないでしょうか。そのように私たち一人一人を新しい世界に招きだそうとされているのではないでしょうか。この主の招きに応えて、新しい一歩を踏み出していくものになりたいと、心から願うのです。

←一覧へ戻る