2004年11月21日 「そのことを知らずに」

マタイ福音書25・31〜46/ミカ書2・12〜13

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主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ病気をなさったり、牢におられるのを見て、お訪ねしたでしょうか。(マタイ二五・三七〜三九) 

<物語に潜むズレ>

 マタイ二五章三一節以下のこの物語には、見過ごせないズレが潜んでいるのではないだろうか。マタイが「正しい人たち」(三七)と呼ぶ人々、つまり裁きの日にキリストに祝福される人々が、貧者や困窮に陥っている人たちに親切にしたのは、けっしてキリストに対する善行になると考えたからではなかった。ましてこれらの人々は、善行を施せば最後の裁きの日に「永遠の命」というご褒美をいただけると計算したからではなかったのである。これらの人々は、「いつわたしたちは、・・」と、とまどいのことばを発している。それは、現に助けを必要としていた人々に対し、自分の労苦や損失や危険を省みずに助けの手を差し出したということである。他方、マタイは、親切な行為は必ず神の報いを得ると励まして、貧者への親切においてキリストに出会うのだと教える。前者の人々の行為が見返りを求めない無償の行為だったとすれば、マタイが勧めたのは、とうてい同じ意味の行為とは思えない。もちろんどんな動機であっても、愛の行為は行われるにこしたことはないだろう。しかし、作中の人々とマタイとの意識のズレは気になる。その奥に何か深い問題が潜んでいるのではないだろうか。

<主イエスの無償の行為に>

 

このようなこだわりが残るのは、主イエスのうちには、与え尽くして生きた無償の行為の人を認めざるを得ないからだ。主イエスは自分の手に戻ってくる祝福のために人々に仕えたのだろうか。彼が永遠の祝福を手にするために十字架の道をたどったとは、どう考えても読み取れない。そのことをパウロは次のように言うのである。「キリストは、・・かえって自分を無にして、僕の身分になり、・・十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ二・六〜八)。続いてパウロは、主イエスのその従順ゆえに神は彼を高く挙げたと述べているが、それは主イエス自身には与り知らないことであった。私たちは、報いを求めず、助けを必要とする人たちに関わった主イエスの姿をはっきりと示されているのである。このことに照らせば、作中の人々とマタイのズレとは、主イエスとマタイとの間のズレとも言えるのではないだろうか。しかし、私はマタイをただ批判して済むとは思っていない。なぜなら、主イエスとマタイのズレとは、実際、主イエスと私自身とのズレでもあると認めざるをえないからである。

<神の愛こそ>

  主イエスの無償の愛の行為とマタイが促した行為はまったく別のことである。マタイは、はっきりと天の報いを期待した善行を施すことを語っているのである。もちろん彼の戒めはけっして無意味な道徳ではない。むしろ大切な戒めであるだろう。しかし、私たちは次のことは心に刻んでおきたい。私たちは神の無償の愛によって捕らえられたのであって、自分の善行や美点によって信仰に生きる人生を獲得したのではなかった。そしてまた、そのことは信仰を生き続ける道でも変わらない真実ではないだろうか。わたしたちが罪を離れて、困窮する隣人に奉仕できる自分になりたいと望むのは文句なく素晴らしいことだ。しかし、それはいつもその根底で神の無償の愛への感謝が支えている。また神の憐れみに触れて、隣人への共感に心を開かれているからである。つまるところすべては神の無償の愛に支えられてのことではないだろうか。

<無償の行為と神への感謝>

 いま、私はある記憶を蘇らせている。私はアイヌ民族への伝道の歴史を持つ教派で若い牧師時代を過ごした。その伝道の歴史について一人の先輩の日本人牧師が触れたことがある。かつて我々の先輩聖職たちは貧しいアイヌ民族に大量の食糧を分け与えた。しかし、アイヌの人々は食糧は食べたが、とうとう忠実なキリスト教徒にならなかった。何ということか・・。こう憮然として言ったのである。しかし、この先輩牧師は何か大切なことを見落としていたのではないだろうか。当時、アイヌ民族は極めて困窮していたが、それは日本人が食糧を分けてやれる生活を、アイヌ民族から奪い取ったものによって築いていたから可能だったということである。さらにアイヌ民族の生活には次のことが自然に行われていた。彼らは狩りによって獲物を手に入れると、その獲物をその場で切り分けた。そして一部を森のキツネや鳥たちの分、また空腹で通りかかるかも知れない誰かのためにそこに残す。持ちかえるのは、自分たちの食べる分だけだったという。与えられた恵みとは共に生きている全てが分かち合うのが当然だったのである。このような人々の姿は、私にとって、見返りを期待しながら、これから与える人たちから、既に奪っていたとも言える食糧を与えて、自分の期待を裏切られたと憤慨する人と対照的に見える。両者を共に思い浮かべるとき、私は日本人キリスト者の一人として、自分たちの精神の貧困と隣人への罪に今さらながら赤面せざるをえない。私もこれまでキリストの名において、貧しい人、困窮する人に親切であろうとしなかったわけではない。しかし、それは無償の行為であったのだろうかと考えてしまう。そして、私は報いを求めるからではなく、少なくとも神の無償の恵みを喜び感謝するからという以外に、今後は何も親切の理由を持ちたくないと思う。

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