2004年8月15日 「平和を実現する人々

マタイ福音書5:9/士師記1:27-29 飯沢 忠牧師

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平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)


 本日は八月十五日、戦争を体験した者にとっては忘れらない日です。戦争を知らない人も日本の敗戦の日を覚えてほしいと思います。当時の私のことを少し話させていただきます。私は、特攻隊にあこがれる軍国少年でした。敗戦の日、私は北海道の江別で、特攻隊用の戦闘機を作る工場に学徒動員でかりだされていました。その半年前、私の父は徴用で飛行場を作る作業中、事故で亡くなってしまいました。父の死と敗戦が重なり、私の心の闇は深くすさんでいくばかりでした。十五歳の私をかしらに六ヵ月の幼子まで四人をかかえた母は社会保障のない時代を必死で働きました。母は若い頃洗礼を受けましたが、未信者の父と結婚し、この世の幸せに流され教会を離れていました。生活は困窮し八方ふさがりの状況の中、母は再び教会に引き戻されました。私は神がいるなら、なぜこんな不幸に陥れたのかと神を恨むような精神状態の中に過ごしていましたが、熱心にさそう母の言葉で、ひやかし半分の気持ちである日、夕礼拝に出席しました。後で聞きましたが、教会の方々はぐれかかっていた私のために祈っていてくださったのでした。物事を自分中心にしか考えていなかった私に、イエス・キリストの十字架の愛は衝撃的で、その愛に迫られて私は自らの罪に気づき、悔い改めへと導かれたのです。神との和解により、私は少しずつ他の人のこと、社会のこと、そして世界の現状へと目が開かれたように思います。敗戦までの日本の教会の大部分は「キリストの救い」を個人的な領域にとどめて、少数の牧師、キリスト者以外は戦争に反対せず、教会が結果的に戦争に協力するという大きなあやまちを犯したのです。


 さて旧約聖書では平和についてどのように告げているいるでしょうか。エジプトの奴隷状態より神によって解放されたイスラエルの民は、モーセに率いられて四○年の旅の後、カナン、今のイスラエルに定住するのです。そこには以前から住んでいたカナン人がおりました。ヨシュア記六章によると、イスラエルの民は「軍事的侵略」によってエリコを占領したと書かれています。ところが士師記一・二七〜二九を見ると「平和的浸透」により、この土地に住んでいた人たちと「共生」したと記されています。今日の旧約における平和に対する考え方は、平和的浸透が多数を占めています。今日のイスラエルの問題もこの考え方の実践にあるでしょう。


 次に新約聖書が告げる平和のメッセージは何でしょうか。主イエス・キリストは、「平和の神」として来られ、争いと憎しみのたえない人間を救うために、その罪をご自分の身に引き受けて十字架で死なれました。私たちは神との和解の福音を与えられた者です。神との平和を与えられた私たちは、自らの救いの喜びにとどまることなく、「和解の福音」をたずさえ、まわりの様々な問題に注意と関心をはらい、神の求める働きへと参与するのです。平和を愛するだけでなく、平和を実現する者でありたいと願います。

 一つの実話を紹介します。六十年ほど前ですが、日本軍がフィリピンに上陸した時のことです。軍から次のような命令が出されました。『フィリピンの指導者を捕らえて「日本軍に協力するか、しないか」問いただせ。「協力しない」と言った者は殺せ』でした。この命令を受けた人の中に神保中佐がいました。彼が捕らえたフィリピンの指導者は「協力しない」と断言したそうです。ところが神保中佐はその人を殺さずに逃がしたのです。やがて日本は戦争に負けました。そしてフィリピンに新しい大統領が選ばれました。彼は神保中佐によって助けられてた人で、就任式に神保中佐を立ち会わせたいと捜すように命令します。神保中佐は命令に背いたことで左遷され、北朝鮮にいました。大統領は就任のことばの中で、自分が今日あるのは神保中佐によるものであると語り、日本の軍隊は数々の悪事をしたが、たとえ一人でも神保中佐のような人がいる限り、日本人に害を加えてはならないと語ったそうです。

 この話を聞いた元国際基督教大学の古屋安雄牧師は、神保中佐を訪ね歩いたのです。彼は東北の田舎に生存していました。古屋牧師は「あなたはあの時なぜあのフィリピンの指導者を殺さなかったのですか」と聞いたそうです。年老いた神保中佐はしばらくの沈黙の後「それは母親の影響ですね。母はミッションスクールで学んだ人です。」と答えました。おそらくこの方は、イエス・キリストの愛を学び、それによって養われた心で神保中佐を育てられたのでしょう。子育てをする人、教育に携わる人の働きの中に、平和につながる大切な使命があるのです。

 昨年の秋、私どもはアメリカの隠退した伝道者が住む隠退者村に行ってきました。北海道でともに働き高齢となられた宣教師に会うためでした。そこには二五○名ほどの教職がおられ、そのうち四○名は日本の宣教のために生涯を捧げられた方々でした。そこで感銘を受けたことは「自分たちはアメリカのイラク侵攻に反対しささやかな活動を続けている」と言われたことです。

 平和を実現するために、自分にできることは何か。まず私たちは祈る人でありたい。神との関係なくしては、行きづまりと諦め、絶望が私たちをとりまくでしょう。直接平和のために活動する人、身近な問題に取り組む人、愛の実践に励む・・それぞれに与えられた立場で平和の福音のために希望をもって歩みたいと思います。

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