2004年5月16日 「苦難を過ぎ越して

ヨハネ福音書16:25-33/出エジプト記33:7-11

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 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気をで出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハネ16:33)

<もう一つの励まし>

 ヨハネ一六章三三節は、多くの人々に深い慰めと励ましを与えてきた。しかし、その慰めや励ましは、かつてこの福音書の最初の読者だった紀元一世紀末のヨハネ教会の人々の思いでもあっただろう。そして、そのことは執筆者ヨハネの意図でもあったはずだ。彼は主イエスの言行をたどりながら、それに豊かな教えを織り込むことで、教会の仲間たちを信仰に促し勇気づけようとした。とくに主イエスの受難を語る時、ヨハネは彼の教会が直面していた困難も同時に語っている。三二節が「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい」と言う時、それはユダヤ教からの圧力などに屈して、教会を去って行く人々がいたことを窺わせる。その分裂と挫折の痛みに耐えて、ヨハネは「しかし、わたしはひとりではない」と主イエスの言葉を続ける。それは挫折しそうになっている教会員への大きな励ましではなかっただろうか。

<「既に」の信仰>

 当時のキリスト教会は、ユダヤ教やローマ権力など、時代の大きな力に囲まれて主イエスの後に次々と続く殉教者を出しつつ歩んでいた。ヨハネ教会の人々が感じた挫折や不安の思いは想像に余りある。巨大な世の力を前に小さな教会の人々にとって、信仰を生きることは苦難を越えてなお持ちこたえる体験だっただろう。ところが、その苦難の教会のために、ヨハネは一つのキーワードを記している。それは「既に」(三三)としめくくりに語る短い言葉である。この言葉によってヨハネは、二つのことを語っている。第一は二八節、「わたしは父のもとから出て、世に来た」という主イエスの言葉に示される。これは主イエスの口から語られているが、聖書学者たちはヨハネ教会の信仰の土台をなす告白だと見ている。ヨハネの信仰は、主イエスを地上の人間として姿を現した神と見なしているのである。言い換えれば、人間イエスの生涯と共に、神の支配が世界の中に始まっているとヨハネは信じているのだ。第二は既に始まった神の支配を信じて生まれた確信である。三三節の最後の言葉がその確信を告げる。「わたしは既に世に勝っている」。主イエスと共に始まった神のご支配は必ず完全に実現する。破れるのは今を覆っている悪と罪の力である。

<神の手の中に捉えられて>

 このようにヨハネは、覆せない神の支配が世界に始まっているという意味で「既に」と言う。この「既に」は時間的な言い方だが、これを空間的な言い方に言い換えることができるのではないか。つまり神の支配が既に始まっていると言う時、ヨハネは、自分たちが神の手の中に捉えられているという確信を語っているということだ。私たちは神の手の中に捉えられている。この確信は、大きな力に取り囲まれ、さらにその圧力の下で分裂や挫折の痛みを体験している教会を支える力となったに違いない。なぜならば、彼ら/彼女たちが感じていた圧力とは、言わばローマの手、ユダヤ教の大きな手であった。しかもそれらは、小さなキリスト教徒の群れを蹴散らすか、追い出すためにふり上げられた排除の手だった。これに対してヨハネは言う。私たちは神の手によって、しっかりと捉えられていると。神の見えざる支えの手に信頼して苦難を過ぎ越す術とした人たちがそこにいる。

<神の手に捉えられた人>

否、その人は身近にいる。十数年前、川崎で七十五年の人生を終わった信仰者のことを話したい。その人、Aさんは、関田牧師が桜本伝道を進めた半世紀前、洗礼を受けて教会員となり、後に戸手伝道の開始と共に関田牧師のかけがえのない協力者となった。Aさんは東京の下町に生まれ育ち、事情で十分に学校にいかれず、早くから働いて弟妹の面倒をみた。次第に職場で認められ信頼されるようになった。二十代の頃、強く望んで結婚したが、その結婚は誰をも驚かせた。夫となった人はCさん。日本に移民してきた中国の料理人だった。しかも、彼は、同胞の先妻に先立たれ、乳飲み子を含む七人の子どもと共に異国で途方にくれていた。Aさんは国際結婚と共に一度に七人の子の母となった。日中戦争下の軍国主義の下で非国民の疑いで連行もされた。戦後も無一物から働き、過労で病に倒れ、倒れながら働いた。ある日、店でラーメンを前に食前の感謝を献げる母子の姿に強く引かれ、その人たちの後をそっとつけて行った所が桜本教会だった。Aさんは、主イエスの言葉を渇いた大地のように吸収して洗礼に至った。その後も幾度も困難に見回れたが努力が実り、子どもたち各自に店舗を持たせた。しかし、最後は全てを人に分け与え、自らはヨルダン寮で質素な密葬をもって生涯を終わった。かつて指紋押捺を拒んだ川崎の在日外国人を「法も規則も人権を越えない」の名言で警察告発から守った伊藤三郎市長を覚えているだろうか。伊藤市長はAさんの店の常連で、悩み事を聴いてもらう程Aさんを信頼し、日頃から「安息日は人のためにある」という主イエスの言葉を聴いていたという。晩年、Aさんは戸手の祈祷会を一番の喜びにしていた。その祈りは、いつも次のように始まった。神様、今日も私の肩をしっかり掴んでいて下さりありがとうございました。そして、必ず次のように終わった。神様、どうぞ弱い私の肩をいつも掴んでいてください。神の手の中に捉えられている確信が、私たちの人生の困難を過ぎ越させる力となることを身をもって教えてくれた人だった。

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